前回2月の500km耐久レースでは、アクチュエーターのトラブルから
ピットスタート。結果は総合22位、クラス18位と健闘はしたものの、
悔しい思いをしたBLISS SCUDERIA E-S-D COPEN。
今回はノントラブルで優勝を狙うべく、マーシャンクレートで着々と準
備を進めていた。
しかしレース1週間前のテストの日、トラブルは起きた。タービンに圧
がかかりすぎて、ガスケットが抜けてしまったのだ。テストは急遽中止。
おまけにもう1週間しか時間がない。今からパーツを制作している時間
はない。
しかしそこはCOPENのチューニングでは第一人者である江黒氏。他車の
ハイフロータービンに付け替え、更にボンネットに吸気口を開けインタ
ークーラーを上置きに設置。コペンを更にパワーアップして生まれ変わ
らせてしまった。

レース前日、薄曇りの中で行われたフリー走行。Dr.Pは最後までタイヤ
の選択で迷っていた。「NEOVA」か「A048」か。Dr.Pはレースはウェ
ットコンディションと読んでいたのだ。
セッティングを煮詰めていたドライバーの中村たかひろが言った。
「明日が雨でも「NEOVA」でいける。まかせておけ」
その一言で決まった。

そしてレース当日。Dr.Pの予想どおり朝からどしゃ降り。完全なウェッ
トコンディションだ。スタートドライバーは中村たかひろ。
スタートのカウントダウンが始まり、シグナルがグリーンに変わると、全
車一斉に1コーナーに向かって飛び込んでいった。1コーナー手前200m
あたりから水煙で前の車のブレーキランプも見えない状態だ。「多重クラ
ッシュ」一瞬その言葉が脳裏をよぎった。しかし何事もなく、全ての車が
無事1コーナーを抜けていった。
富士を知り尽くしている中村は冷静だった。1コーナーよりも危険なコー
ナー。それは300R。あそこは雨が降ると水が溜まるコーナーなのだ。走
れるラインは2つしかない。完全なインベタか一番外側だけなのだ。あと
はレーススピードで走るとハイドロプレーンを起こす。中村は車をコース
ギリギリまで寄せ、一番内側のラインをキープした。外側のラインの方が
空いているのだが、内側を走る車がスピンすると巻き込まれる可能性があ
るからだ。
そして予想通り、そこで多重クラッシュが起きた。
コントロールを失った車が、外側の車を巻き込みながらクラッシュ。レー
スは1周目で赤旗中断となった。
ピットは気が気でない。COPENは無事帰って来るのだろうか?
最終コーナーを立ち上がってくる集団にマジョーラブルーのコペンを見つ
けたときは一同ホッと胸をなで下ろした。

1時間後、セーフティカー先導でレース再スタート。今度は全車慎重にコ
ーナーを抜けていく。雨は小降りになる気配もない。
そしてSCUDERIA E-S-Dの猛追が始まった。ウェットコンディションでは
ドライバーの腕が重要なファクターとなる。つまり雨に足を取られる寸前
の限界ギリギリまで走れるかどうかが、ラップタイムを大きく左右するか
らだ。
1回目の給油を終え、番長中村からスピマス大野にドライバー交替をしな
がら、COPENは徐々に順位を上げていった。
昼休みにパレードランに参加するコペンオーナーたちも、コントロールタ
ワーに表示される「54」が5位→4位→3位→2位と上がっていくのに
大盛り上がりだ!

そして、電光掲示板の1位と2位が入れ替わった。第1ヒートが終了する
直前、ついにCOPENがトップに立ったのだ!
ここで重要となるのは給油のタイミングだ。第1ヒートに入ってしまうか
第2ヒートがスタートしてから入るかだ。
その時第1ヒート終了を誘導すべく、セーフティーカーがコースインした。
Dr.Pはすかさず給油するよう、無線で連絡した。すなわちセーフティカー
先導によってペースが落ち、ロスタイムが最小限で済むのだ。
COPENは給油のためピットインし、ドライバー交替を行い、再び6位でコ
ースに復帰することができた。

午後からの第2ヒートは持久戦だ。レーシングスピードを保ちながらコー
ス上に車を留めておかなければならない。クラッシュしてしまえばレース
はそこで終わってしまう。たとえ修復してレースに復帰できたとしても、
トップ争いからは脱落してしまうからだ。
悪条件下のレースではやはり経験が物を言う。第2ヒートのトップを走る
のは、ベテランのターザン山田だ。
クラッシュやコースアウトが続出し、セーフティカーが幾度となくコース
に出入りする中、刻々と変わる路面状況を的確に捉え、起こりうるアクシ
デントを予測し、山田はコントロールし続けた。
雨は強くなったり弱くなったりはするものの、いっこうにやむ気配はない。
1000kmを走りきる前にタイムアウトが来る。気温も低く、燃費の心配も
ない。COPENはラップタイムペースを上げた。
ターザン山田からユークス谷口、再びスピマス大野とドライバーを交替し
レースは終盤を迎えようとしていた。現在、総合順位は4位だ。

スピマス大野から最終ドライバーの番長中村に交代するとき大野が言った。
「タイヤが滑り始めている!」
実際に中村がコースに出てみると、朝とは車の挙動が明らかに変わってい
た。一瞬でも気を抜くとスピンしてしまう。中村は慎重にコーナーを攻め
続けた。
ナンバー30のアルトワークスにオーバーテイクされたとき、中村は作戦を
変更した。トップグループを走るBLISS SCUDERIA E-S-Dコペンの表彰台が
かかっているのだ。ここでみすみす先に行かせるわけにはいかないのだ。
中村はアルトワークスの追走を開始した。下りの1コーナーを抜け、サン
トリーコーナーを過ぎ、100Rにさしかかった時、コトは起きた。
突如フロントのグリップがなくなり、車がコントロール不能に陥ったのだ。
「ハイドロプレーンだ!」
こうなるとハンドルを切ろうがブレーキを踏もうが、車は全く言うことをき
かなくなってしまう。あとは何かにぶつからない事を祈りながら、グリップ
の戻る瞬間を待つのみだ。
中村は運が良かった。他の車にぶつかることもなくコースアウトした瞬間に、
グリップが戻ったのだ。グリップさえ戻れば中村の腕を持ってすればコント
ロールできる。タイヤバリアにぶつかる直前に車を止めた。そしてグラベル
に捕まることもなく、コースに復帰できたのだ。
そして再アタックを開始した。コースアウトでロスしたタイムをどれだけ取
り戻せるかだ。闇の中で赤く光るテールライトをいくつも追い越していった。

午後6時、チェッカーフラッグが振られた。BLISS SCUDERIA E-S-Dコペンの
最後の追い上げでどこまでタイム差を縮められたのか?
第1ヒートのタイムとの合算になるため、トータルの順位は見た目の順位と
は違うのだ。全員固唾をのんで、順位の発表を待つ。

そして・・・。
なんとクラス3位、表彰台をゲットしたのだ!
他の車と違い、チューニングパーツが殆どない状況の中、スポンサーの皆さ
んのご協力とドライバーのテクニック、ボランティアでレーススタッフを引
き受けてくれた方々、そしてCOPENIFESTAに集まって声援を送ってくれた
COPENオーナーの皆さんのおかげで、もう2度と上がることのできない富士
スピードウェイのポディウムに上がることができたのだ。

ご協力いただいたみなさま、本当にありがとうございました。

9月15日、富士スピードウェイは37年の歴史に幕をおろした。